夫婦の比較

自分の妻以外のいかなる女性をも女性として認めず、夫以外の男性を男だと考えたことのないような夫婦はたしかにいまでもこの世に幾組かはいるはずです。かれらこそ正しく一等lいや、特等夫婦の名に値いし得る男女です。かれらは自分たち夫婦を世間の夫婦とけっして比較なんかしません。お互いに自分たちはこの世でえらばれあい、いちばん愛されているのだと思いこんでいます。彼女にとって夫の存在はまるで空気のようなものであり、彼にとって彼女との共同の巣である家庭は、正にいっさいの不安、一切の危険からまもられたいちばん安全な場所です。ふたりはお互い以外に男女というものを知りません。それだから、お互いに、この世で誰よりもいちばんよく知り合っていると考えます。ツーといえばカーとこたえます。カーとよべばツーといいます。相手が小指に霜ヤヶでもこしらえれば、自分の小指に霜ヤヶができたように感じます。ふ たつのちがった肉体で、ひとつの感覚を感じ、ふたつの心で、ひとつのことを考えます。

しかし、彼は彼女が女性であることを、そして女性であれば月々月経があり、月経を中心にして彼女の精神にいくらか波の高低があることを、あるいはまた女性はこういうことを最もいやがり、こういうことをいちばん好むものであることを知っています。おなじように、彼女もまた男というものが元来エ・コイストであり、彼もまたきわめて無邪気な子供っぽいエゴイストであることを、しかし、いざとなれば、彼女のためには水火をも辞せぬ勇敢な男性であることを、そしてまたこまかい所へいろいろ気はつかっても、性根はまことに春の海のように寛大であることを、そして愛の情熱において、きわめて男性的であることを知っています。出会いはここ→に、たくさんあるので、相性が合う人がきっと見つかります。

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夫婦は一対一

結婚とは、食事、思想、趣味、経済、住居その他生活のあらゆる面で、仲間になるということですが、結婚当初、あるいは結婚前には、これらいくつもの条件のうちのひとつが、たいへんよくつり合いがとれていると、他の条件のふつり合いなどというものは、そのため、それほど苦にならないようです、つまり、つり合いのとれているひとつの点だけを、バカに強力なものとして考えるからなのです。夫婦をつなぐ糸が十本あるとしましょう。そのうち一本だけがバカに太い糸でつながれているように思われると、あとの糸が切れていても、あるいはどんなに細くても、結構やってゆけるように考えるのです。ところが結婚して実生活に入るやいなや、十本の糸がそれぞれに大切なものであることが自然にわかってきます。趣味の一致という一本の太い糸だけではどうにもならない ことに気がついてきます。そしてその途端、夫婦は何となくさびしくなり、不幸になるのではないでしょうか。つまり、夫婦のつり合いというものは、全体的なつり合いでないと困るようです。夫婦は友だちとはちがいます。友だちでしたら、絵の友だち、お華道の友だち、勉強のお友だち、というふうに、幾人もの別々の相手、つり合いのとれた相手をもつことができましょう。けれども、夫婦は一対一なのです。もし、ここで→結婚相談所 選び方 出会った相性が合う人と結婚しても仲が悪くなったらここを思い出してください。

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夫婦はお互いに批判し合う

第三に、夫婦のつり合いがとれていないと、夫婦はお互いに批判し合うか、それとも夫婦各自に別点の悩界をもってそのなかへもぐりこんで暮すか、そのどっちかになりそうです。夫は共産主義者、妻は自由主義者。夫は貯金主義者、妻は浪費主義者。夫は歴史派、妻は未来派。まあ、いってみればこんなふうにふたりが別々の考えかたをもっていれば、初めのうちはいやおうなしにお互いがお互いを批判することになりましょう。ところが、批判をすればするほど、貯金主義者はいっそう貯金第一になり、浪費家はいっそう浪費家になるかもしれません。そしてあげくのはては、あの人はあの人なんだ、私は私なんだと、お互いに自分だけの世界をつくって、その中にとじこもり、ふたりの間には目に見えぬ高い障壁がきずかれることになりましよう。

ところで夫婦のふつり合い、結婚したてにはさほど気にならなかったふつり合いが、年ごとにだんだんはっきりしてくるし、またふつり合いの度合いが激しくなってくるのは、なんといっても年齢のふつり合いかと思います。たとえば、二十歳の花嫁と四十歳の花婿とが結婚したぱあいを考えてください。この年齢差についてまわる、ものの考え方、見方の相違は、年ごとにひどくなってゆくように思われます。ふたりは、だんだん「仲間』であるという意識からずれてゆくのじやないかと思います。そして初めのうちはふつり合いが気にならず、だんだんふつり合いが気になってゆくというのは、だんだん夫婦として不幸になってゆくことではないでしょうか。素敵な結婚相手を出会い系 サクラいない で、見つけても結婚後に問題は発生した場合、ここに書いてあるように意外と改善に手間がかかります。気を付けましょう。

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夫婦の生活態度

第二に、夫婦の生活態度、あるいは生活についての感覚や意見が調和しておりませんと、おたがいにしじゅう相手の生活態度を気にせずにはいられなくなります。お互いの間にいちいちの問題で緊張した感じが自然にでてきます。そして毎日緊張したこころもちをもちつづけますと、いよいよ神経質になってきます。そして、神経質になればなるほど、いよいよ緊張の度合いが増してきます。家庭はいつも緊張しきった空気につつまれます。家庭は 休息の場所でなくなります。のんびりと、アグラをかいたこころもちですごせる場所ではなくなります。つまり、家庭は家庭でなくなります。相談は討論となり、沈黙はさぐり合いになります。いや、こんなふうにいうのは少しばかり大げさすぎるかもしれません。しかしあらゆる面でつり合いのとれていないふたりの男女が、なるたけ、あらゆる面でつり合いをとろうと思えば、いやおうなしに、努力感が生れ、努力感は緊張をもたらすかと思います。ふつうの夫婦というものは、いつとはなしに、夫と妻とのいろいろの相違点を加えて2で割ったところへ、つまり、両者の平均に近づいてゆくものです。ところが、コチコチのカトリック信者と仏教徒が結婿したとすれば、容易に、いや、ぜんぜん、加えて2で割るところへは落ち着きません。その結果、夫婦は、家庭にいて安定感をもつことができなくなるように思われます。コミュニケーションは非常に重要ですので、これからここで→出会う結婚相手とはコミュニケーションを途切れないよう気を付けましょう。


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夫婦間のつり合いとは、相違のなかの調和

それでは、つり合いとはなにもかも似ていることでしょうか。生活のしかた、ものの考え方が、ただ似ているというだけでは、つり合いがとれたということにはならないようです。むしろつり合いがとれているということは、あるていどお互いに違っているのだが、しかも違っているために、かえって調和しているということです。そこで、夫婦間のつり合いとは、相違のなかの調和、調和してやってゆける限度内の相違ということだろうと思います。 で、もしつり合いのとれない相手と結婚したらどういうことになるか?

第一に、お互いにほんとうに理解し合えないだけではなく、下手をすると、いちいち誤解し合うことにもなりかねないようです。たとえば、私と菱がぜんぜんいろんな点で生活感覚がちがっているとします。私は最初、私にとって気に食わないと思われる妻のいちいちの行動を、なんとかしてなおしてやろうとします。ところが、生活感覚がちがっているために、なおしてやったほうがいいと私の考えることを、妻は、なおす必要なんか別段ないと考えます。そしてこれを治そうとする私の動機を、まるで見当ちがいに解釈してしまいます。私は私で、そうなると、「俺をバカにしているんだ!」と思い込んでしまいます。ふたりの間の距離はこんなぐあいでだんだんひどくなるばかりです。その反対に、私と妻が生活感覚をある程度共通にしているぱあいには、私は妻のいろいろの行動を思いやりと善意をもって解釈することができます。そして夫婦の問で必要なことは、相手の気にくわない行動をムリャリ直そうとすることではなく、相手の行動についての考え方を、自分のほうから訂正することだと思います。結婚前に出会いがない 社会人 で、相性ピッタリの相手を見つければ結婚生活の苦労はもっと減るだろう。

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夫婦のつり合い

あなたがロマンチックな考えの持ち主だとしたら、夫婦のつり合いなんて考え方を軽蔑なさるかもしれない、身分とか経済とか教養とか体力とか、そうしたもののつり合いよりも、ただ、なによりも愛情と理解さえあれば、それだけでじゅうぶんだ、とおっしゃるかもしれません。そしてさらに、つり合いをうんぬんするなどということは、へんに分別くさい功利的な考え方だとさえいわれるかも知れません。たしかに、映画にでてくる若い女性は、公園の.ヘンチで知り合った、氏素姓のわからない奇妙な男と恋をしてハッピー・エンドになりますし、貧しい女事務員は、大金持の坊ちゃんと恋に落ちて、めでたく結婚式をやっています。だから、ロマンチックなあなたが、夫婦のつり合いという地道な考えにあまり重きをおかないとしても、あなたばかりを責めるワヶにはいきますまい。なにしろ映画の恋愛は男と女のつり合いがとれていることが少なければ少ないほど、それだけロマンチックで面白いのですから。けれども、この点で恋愛と結婚はたいへんちがいます。恋するにはつり合いのないほうがいいのですが、結婚はつり合いがとれていないと、なかなか成功いたしません。いまあなたは愛情と理解さえあれば、と考えていらっしゃるかもしれませんが、つり合いがとれていないと、第一、このおたがいの理解ということがむずかしいのです。農夫の娘さんと王子とは、美しい男、美しい女として愛し合うことはできますが、いろいろな生活の感情をおたがいに理解することはできないかと思います。なにしろ、二人がいままで生活して来た環境も習慣も、全部天と地ほどにちがっているのですから。理解しあうためには、生活の仕方がいままでだいたい似ていることを、かならず必要とします。結婚のぱあい、身分、年齢、学歴、経済条件、体力lそういったことがらについてつり合いがあるということは、お互いに割合たやすく理解し合えるということなのです。私たちは自分に似通ったものは理解できますが、自分とあんまりかけ離れたものは、普通、理解できないのです。これは判りきったことです。ですから玉の輿にのった人妻は、存外結婚生活においてしあわせではなかったろうと思います。恋愛と結婚は違うところが多いですので、結婚相談所 比較 ←ここで出会った素敵なパートナーをよく見極めましょう。


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